【地域情報化の現場から】
【CANフォーラム共同企画】第23回「手作りの無線ネットワークが町中をつなぐ~長崎県長与町のNPO『にんじんネット』が実現した通信基盤~」
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| 長崎県長与町の町並み |
とかく設備投資が大きな負担となりがちな通信事業をNPOが運営している背景には、情報化をツールとして町の人々のつながりを再構築し、町を活性化しようという熱い思いに裏打ちされた数々の工夫があった。
にんじんねっと=「人々が参加するネットワーク」
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| 藤澤先生(中央)とにんじんネットを支える教え子達 |
2001年3月、かつての教え子である大島さん(にんじんネットの初代理事長)が長与町にある藤澤先生の家に泊まりこんでいた時、無線ネットワークを作る話が持ち上がった。当初は「コミュニケーションと集団の発生システムの関連を探る」という社会心理学の研究が目的のネットワーク整備だった。規模も大学近辺の3自治会をターゲットとした小さなものだったが、町長からの要望で、長与町全域をカバーする無線ネットワークの構築が始まった。それと同時にNPO法人化に向けての検討も開始した。
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| にんじんネット発祥の初代事務局(今は使っていない) |
にんじんネット開局にあたっての原資は、藤澤教授が引退後の楽しみに世界一周旅行をと思って購入したヨットの売却代金約600万円と銀行借入を合わせた1,000万円程度。「数えるほどしか乗っていないのに手放してしもたなぁ」と藤澤先生は豪快に笑う。
にんじんネットの名前は、メンバーがミーティングをしていた喫茶店で、ママがにんじんを切っているのを見て、「にんじんって人参、人々が参加するネットワークってことや」と思いついてつけた名前だ。インターネットへの接続を確保するプロバイダー事業を地域のための情報通信ネットワークとして機能させることにより、ハイテク機器で、ローテク(人々の交流)を目指すのが狙いだった 。(※1)
※1 にんじんネット協議会ホームページより
限られた資金で四苦八苦
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| 手作り感漂う事務局屋上のアンテナ |
手作り感が濃厚にただようビルの上の無線基地局。開局当初は電波の集まりが良くなるという理由で、これに工事現場でよく見かけるセーフティーコンをかぶせていたという。町内全域をカバーするには20数基の基地局アンテナが必要となる。まずは設置場所を確保しなければならない。基地局設置場所の確保は、にんじんネットの活動に賛同する地元の不動産会社社長中尾氏が中心となり、地元地権者30名あまりを巻き込みながら進めた。趣旨に賛同する各地主が無償で場所を提供してくれた。また、ネットワークシステム構築は藤澤氏の教え子を中心とするボランティアが東京・大阪から支援に駆けつけた。
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| 藤澤先生愛用のノートパソコン:MAME(豆)4号 |
藤澤氏のマニアぶりは、どこへ行くにも持ち歩くパソコンに表れている。ノートパソコンにアルミ板を曲げて作った取っ手をつけ、表面にはマジックテープで貼り付けたポケット(中にはドライバーやメジャーなどの小道具が収納されている)と携帯電話機が鎮座している。今でこそB5サイズのノートパソコンが出たが、ノートパソコンが出始めた頃はA4サイズで大きくて重い。それでもバケツの柄を加工したものをパソコン取り付けて持ち運びしていたという。
何をどうすれば安くできるのか、知恵を絞る過程でにんじんネットの理念が地元の人に広がった。その結果、地元の人との縁が増え、それが後のにんじんネットの財産となった。「大学の教授らしからぬ気さくな先生だから人が寄ってくる(にんじんネットの会員談)」。気さくな先生が繰り出す奇策の数々がにんじんネットの屋台骨となっていった。
「つながらない」と苦情が殺到
2001年11月1日の運用開始日を目指した無線ネットワーク整備は紆余曲折の連続だった。通信事業に縁のなかった初心者による手探りのネットワーク整備だ。予想以上のトラブルが続出する。しかし、事態は後戻りのできない状況まで進んでいた。にんじんネットの活動に参加するため、大阪から2人の教え子が長与町に引っ越してきた。そして、地元の人の協力でアンテナ塔が続々と立ち始めていた。さらに、東京では教え子の一人がサーバー類の立ち上げを急いでいた。加えて、NPO法人申請も済ませた後だった。もう後戻りはできない。とにかく前に進むしかなかった。
しかし、進む道は山あり谷ありだった。通信機が仕様どおりに作動しない。開発を依頼していた子機の値段が思っていたよりも高い。できあがってきた子機の価格はにんじんネットの入会金より高く、入会者が増えれば増えるほど赤字が増大すること必至だった。悪いことはさらに重なる。これから加入者を募ろうという2001年12月の時点で、調達できる子機は100台ほどしかなかった。「万事休す」だった。
それでも幾多の苦難を乗り越え、11月1日当初の予定通りにんじんネットはサービスを開始した。だが、苦難はサービス開始後も続いた。2.4GHz帯無線は過酷な気象条件に弱い。大雨が降ると通信ができなくなることがある。ユーザーからは悪天候のたびに「つながらない」という苦情が殺到した。そして子機の不調も依然として解消されないままだった。
そこでサービス提供の一時中断を決定。サービス再開予定日を2002年1月7日に定め、再準備が始まった。そこにまたあらたな災難がにんじんネットを襲った。
2002年元旦、早朝の落雷とともに全ての基地局アンテナが壊れ、通信が全くできなくなってしまった。「これほど最悪な正月を迎えたことはなかった」と藤澤氏。幼少のころから現在まで、20回も生命の危機に直面しながら九死に一生を得ている藤澤氏が「人生最悪の正月」というからよほどのことだった。落雷後、ユーザーからはひっきりなしに苦情の電話がかかった。「つながらない。」「どうしてだ?」あまりの心労に事務所で電話応対をしていたボランティアの女性が涙を流した。「にんじんネットはつながらない、使えない」そんなイメージが定着しつつあった。
1通のメールにスタッフが泣いた日
苦情の電話が鳴り止まないにんじんネットの事務局の一角で、黒焦げになったアンテナを前に「どうしよう・・・」と作戦会議が開かれていた。落雷でサービス開始の目処は立たず。事態は深刻だった。アンテナがないとサービスができない。しかし、今までの開局準備で資金は底をつき、アンテナをすぐに買い換える余裕もない。「これ以上のサービス継続は無理ではないか」――後ろ向きの議論が色濃くなり、夢を抱いて参加していたかつての教え子たちやボランティアが次々とにんじんネットから去っていった。
幾多の苦難、サービス閉鎖の議論――。ある日藤澤氏は思いを固めた。「新しい子機、新しい基地局アンテナ、新しいサーバー、新しい運営体制、何もかも最初から全面的にやりなおそう。そして、2002年4月になっても目処がついていなければ、その時こそにんじんネットを閉鎖してユーザーに頭を下げて回ろう」。落雷防止策について検討を重ね、資金を捻出して新しいアンテナを購入。サービス再開に向けた最後の挑戦が始まった。
そこにユーザーから一通のメールが舞い込んだ。「にんじんネットを我が子のように見守っています」。そのメールを見たスタッフ全員が泣いた。
仕事を楽しむボランティアの人たち
苦労のかいがあって、にんじんネットの無線ネットワークも安定したものになってきた。ネットワークの改良と同時進行で、にんじんネットの運営体制が整備された。長与町の人たちににんじんネットを「子供のように見守って育ててもらおう」と理事会全員を長与町在住者にし、新体制作りが始まった。現在にんじんネットを支えているのは6人の事務局と約20人のボランティアだ(平成17年9月現在)。
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| 電波調査・工事班の宮崎さん(左)と村上さん(右) |
この工事班は、無線機の取り付け工事だけではなく、時にはパソコンのセットアップまでこなす。必要最低限の工事をすれば終わりではない。ユーザーがインターネットにアクセスできる環境を整えて始めて作業が終了する。県の職員を退職後、にんじんネットの活動に参加している宮崎徹さん(65)もボランティア活動内容を楽しそうに語る。自分自身の楽しみがにんじんネットの活動を支えるという好循環になっている。
にんじんネットには、このほかにも様々なボランティアがいる。たとえば、ホームページに掲載するコンテンツを取材する取材班、実際のホームページ作成を担うボランティア、ネットワークの保守を行うボランティア。「お客さんじゃなく、会員。だから一体感がある」と村上さん。「雨で一日くらいつながらなくてもしょうがない」と会員の無線ネットワークとの付き合い方も気の長いものになってきたそうだ。ユーザーの一人林田浩さん(79)も、「にんじんネットでは人間関係がつながる。使い方を気軽に聞けるのが良い」とにんじんネットの魅力を語る。
人材発掘を目指すボランティア講座
にんじんネットのホームページでは、イベント情報・生活情報等の地域密着情報、映像・写真による地域情報アーカイブ、長与町1000のホームページ(情報化支援策)など様々なコンテンツを提供している。
ハイテク機器で、ローテク(人々の交流)を目指すという当初の狙いどおり、各種情報化支援策と並行して、地域住民によるリアルなコミュニケーションが起こっている。例えば、「地域の人が地域に教えあう」をモットーにボランティアスタッフが講師役となり、毎年秋にIT講習会が開かれている。取りあげるテーマは「パソコンによる年賀状作成」といった時期的にもタイムリーですぐに使えるものだ。
また、当初電波調査班の知恵の交換会として発足した第三水曜日の夜の会合、「三水会」が「三水塾」と名を変えてその活動範囲を広げている。写真教室、マイコン作成教室、酒造り教室とITに限らない多彩なテーマでボランティア講師役を中心に開催される。ミソはボランティア講師による講座が地域コミュニティーの活性化だけにとどまらず、にんじんネットのボランティアスタッフ発掘の場となっていることだ。過去に開催された写真教室は取材班、マイコン作成教室は電波調査・工事班の人材発掘目的を兼ねていた。
NPOのメリットと難しさ
「にんじんネットが提供するブロードバンドインターネット接続サービスの利用料は月額1,575円。通信事業者が提供するブロードバンド通信サービスに比べて格段に安い。営利を追求しなくていいNPOだからこそ可能な価格設定だ。大手のプロバイダーに加入しているユーザーの利用料金は全て東京へ流れてしまう。「NPOに払われる料金は、地元での消費に回るし、安いことで浮いたお金も消費活動に向けられるなら、大きな経済効果があると言える」と藤澤氏は「地産地消」の効果を語る。日進月歩の通信業界でNPOがサービス運営を行う厳しさもある半面、地域単位のネットワーク整備が持つ潜在的な効果は見逃せない。
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| 事務局の中村さん(左)と嶋田さん(右) |
藤澤氏の情熱と努力をかつての教え子や地元の人が支えてきた。そして今のにんじんネットがある。藤澤氏のおおらかさに裏打ちされた適度ないい加減さが、多様な人が参加するにんじんネットの扇の要になっている。これも重要な成功要因の一つだ。
ノウハウを他地域に供給
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| 大村湾を望むヨット中継の丘 |
2003年8月には、ノウハウ提供先の1つである福岡県岡垣町の「LANTVネット」と協働で長崎ゆめ総体ヨット競技のインターネット中継、大会本部へのテレビ中継を実施した。ヨット競技は陸上から見ても船上の人の様子がほとんどわからない。岬の高台にアンテナを設置し、競技を間近で撮影する取材船からの電波を受けてインターネットで中継した。取材船から電波を発信するのは大仕事だった。
船の上では人が人力でアンテナを支え、取材船の航行にあわせてアンテナの角度を変え、高台に設置された受信用アンテナに向けて電波を送り続けた。取材船に持ち込まれたアンテナは八木アンテナを一回り大きくしたサイズで重量もある。それを電波調査・工事班のボランティア村上氏が船上で担ぎ続けた。テレビ局顔負けの機動的な映像取材は陸上で応援する人たちにとても喜ばれた。「商業ベースでは採算にのらないが、地域住民の注目度が高いコンテンツをNPO法人の協働で実現させることの意義は大きい」と藤澤氏は語る。
課題は設備更新のための資金
長与町全域を対象とするネットワーク環境整備もほぼ完了し、ネットワークも安定的に運用できるようになった。運転資金を賄えるだけの利用料収入も上がっている。しかし、技術進歩に伴う設備更改資金を捻出する余力はない。地域情報の提供を充実させるためにも資金が必要だ。「成長のための資金確保が今後の課題。また、にんじんネットのノウハウを他地域にも広げて連携したい」と藤澤氏。人もお金もいつもギリギリ、それでも事務局には笑いが絶えない。地域を元気にする人のネットワークを作るにんじんネットの挑戦は今も続いている。
(藤井資子=慶応義塾大学大学院政策・メディア研究科博士課程)
参考
石盛真徳・藤沢等、「NPOによる町内LANを用いた地域情報化とまちづくり」、日本NPO学会代6回年次大会発表論文、2004年
にんじんネットホームページ
藤澤氏による日記「にんじんネットの歩み」
藤澤氏の「にんじんネット流自己紹介」
評価と課題:「NPOならではのアバウトさと温かさ
2005年8月半ば、長崎県長与町のにんじんネットの事務局を訪問し、理事長の藤澤等長崎県立シーボルト大学教授や、スタッフの人々から話を聞いた。そこで、「にんじんネット」がなぜ成立し、存続しているかの訳がわかった。
インターネットのユーザーがインフラに期待するのは、事故なく、いつも使えるということと、値段が安いということだ。だれが運営しているかはそれほど重要ではない。ところが、にんじんネットにあるのは、コア・メンバーの濃密なチームワークと、それを支えるボランティアの人間的なネットワークがきちんと出来ていることだ。
ここでは「ネットにつながる」ということが二重の意味を持っている。無線インフラを使うということと、人脈に加わるということだ。ちろん「安い」というだけで、人脈に加わらないユーザーもいるが、それは、このネットの魅力を半分しか享受していないということだ。
長与町は、古くからの農林漁業、商業で生きていた地元の人と、長崎のベッドタウンとして住んでいるサラリーマン家庭という二種類の住民が住んでいる。藤沢市が当初ネットを張ろうとした地区は、大学の敷地に近い後者の地区。しかし、藤澤氏が町役場に趣旨説明に出かけたとき、町長をはじめ役場の人たちが感じたのは、その二種類の住民の橋渡しができるという可能性だった。また大学を誘致した効果を、じかに体感できる「道具」としての無線ネットの魅力だ。
長与町では、町内の高台に設置された防災無線のアンテナに、小さなにんじんネットのアンテナが宿木のようについている。使用料は無料。これが町が協力している証だ。
お金がない、ノウハウがない、人手が足りない――他の例と同じように、にんじんネットも「ないない尽くし」に苦しんできた。それを何とか突破できたのは、やはりリーダーの藤澤氏の魅力だ。物事に捕らわれず豪快に生きてきた自信と、関西人らしいしたたかさで人をひきつけている。NPO的なアバウトさと温かさの象徴が藤澤氏だ。
インターネットはそもそも「ベストエフォート」と「トライアンドエラー」で作られてきたネットワークだ。完璧な技術と品質保証に裏打ちされた電話網とは対極にある。そういう点では、にんじんネットは、まさに「インターネット的」なネットだと言える。
しかし、ほとんどの地域情報化の事例と共通するリスクがここにもある。「藤澤氏がいなくてもやっていけるか」である。現実のオペレーションは事務局の人たちがやっているが、人脈の中心としての藤澤氏の位置は動かしがたいものがある。
藤澤氏は、現在の802.11b(2-3メガビット/秒のレベル)から、100メガビット/秒クラスの802.11nにネットを更新するのが次の課題だと言う。折りしも、日本の隣国の台湾では人口260万人の台北市の90%を無線インターネットでカバーする「網路新都」という構想が世界の注目を集めながら進行中だ。また東京でもソフトバンクとライブドアの無線ネットでの競争が始まりつつある。そういう大規模なものでなく、手作り、安価に地域に根付いた無線ネットは大変価値がある。こうしたものを地域連携で広げていけば、日本のインターネットが「血が通うネット」になっていくと思う。地域情報化に関わる人たちはそうした方向で、にんじんネットに学び、組織的な基盤を作ってほしいと願う。
(坪田知己=日経メディアラボ所長/慶応義塾大学大学院特別研究教授)
2005-10-20 カテゴリー : 地域情報化の現場から
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2005-11-06 17:56
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