【地域情報化の現場から】
第29回「オープンソースで町おこし~松江市のRuby City MATSUEプロジェクト~」
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| JR松江駅のロータリーにある松江オープンソースラボ。横に山陰線の高架が見える |
活動拠点は駅前のラボ
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| しまねOSS協議会1周年の年次総会 |
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| 夕方開かれたオープンソースサロンの様子:この日は広島から講師を招いた |
Ruby City MATSUEプロジェクトの活動拠点が、この総会が開かれたラボだ。JR松江駅のロータリーに面し、外からも、窓に書かれた「松江オープンソースラボ」の文字がよくわかる。
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| 松江オープンソースラボの内部 |
「交通至便」「だれもがふらりと立ち寄って話ができる」――。実は、ここに秘密がある。
しまねOSS協議会はシステム開発の共同受注を目指すジョイントベンチャーやコンソーシアムではない。あくまでも参加者の交流・情報交換の場という位置づけだ。そのため、コミュニティ内の情報交換を促進する場となるイベントの企画・実施や、地域外コミュニティとの交流窓口が主な役割となる。それにふさわしい拠点として、オープンソースラボの場所と、セッティングがなされたのだ。
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| しまねOSS協議会前事務局長目黒貴之氏 |
イベントが開かれていない時間帯には、開発コミュニティ参加者や企業に無償開放され、日常的な交流拠点としても機能している。
自らシステム開発企業を営むしまねOSS協議会前事務局長の目黒貴之氏は、「エンジニアリング系の人々の間では、『最近どんな仕事してる?』みたいな話のやり取りもあるし、ちょっと自社の同僚には聞けないような話も企業機密に触れない範囲内で教えあったりしている。また、DB(データベース)が得意な人の隣の席が、サーバー管理屋さんだったり、デザイナーだったりして、そうした異分野の人が相談できる環境がある」と、この環境を前向きに評価している。
地元に存在する資源を探して
「三重県が90億円出してシャープの工場を誘致したとか、大阪では150億円出すと提案して薬品メーカーの研究所を引き留めようとしたとか…。でも、こうした税金・補助金などの値引き競争に活路を見出すというのは非常に小さな都市や小さな県では難しい」
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| 松江市産業経済部田中哲也参事 |
そんな中、松江に世界的なオープンソースのコンピュータ・プログラミング言語Rubyを開発したエンジニア、まつもとゆきひろ氏が居住していること、そのエンジニアは地元資本の独立系システム開発企業に属していることを知る。
オープンソースであること、それが地方の不利を跳ね返す
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| Ruby開発者まつもとゆきひろ氏 |
「オープンソースであれば、システムのどこまでもソースを追えるわけですよ。そうすると腕さえあれば問題は全て解決できるわけですね」
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| 株式会社ネットワーク応用通信研究所井上浩社長 |
このような試みを地域の情報産業全体の取り組みにすれば、一企業だけでなく地域の情報産業全体のものとなる。こうしてオープンソース開発をもとにしたRuby City MATSUEプロジェクトの基本構想ができあがった。とはいえ技術だけオープンソースのものを採用するのであれば、世界中の企業がすでに実践している。
田中参事はこう語る。
「オープンソースという概念、テクノロジーじゃなくてものの考え方が重要なんです。Ruby(の成功)はまつもとさんの情熱と人柄によってコミュニティが広がることにより実現した。まつもとさんはオープンソースというものすごく大切な考え方というのをお持ちだったわけですよね。素敵な考え方や文化は市のスタンスにも反映させなきゃいけないし、活動にも反映させるべきなんです」
産学官連携によるコミュニティの形成
しかし、みんなで自発的に協力し合うというオープンソースコミュニティの特色は、一企業と行政が手を組むだけでは成立しない。複数の企業を束ね、かつ行政との橋渡し役も担える人間が、構想の成功には不可欠だった。
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| 島根大学法文学部野田哲夫教授 |
野田教授は1992年4月に島根大学に赴任して以来、しまねSOHO協議会やプロジェクトゆうあい(情報技術による障害者の自立支援を活動内容とするNPO法人)など、松江のIT技術を基盤とする多くのビジネス・社会活動コミュニティに参加していた。研究テーマは「ITによる地域産業振興」であり、ネットワーク応用通信研究所は「オープンソースソフトウェアという無償のものがどうやって産業振興につながるのかという意味での研究対象だ」と語る。田中参事、井上社長との交流も長く、野田教授がRuby City MATSUEプロジェクトのコアメンバーとなるのは自然の流れだった。
島根大学の共同研究室には毎週のように経営者、現場のエンジニア、研究者など、多様な人々が集まり、オープンソースをベースとした地域コミュニティ像に関する議論が活発になされた。この集まりがRuby City MATSUEプロジェクトを推進するコミュニティの中核団体、しまねOSS協議会へと発展する。協議会には地場のシステム開発企業、島根大学、松江高専などの教育機関、島根県や松江市という産学官参加、連携の舞台として機能している。
コミュニティ拡大に向けた動き
Ruby Cityプロジェクトの狙いの一つが、松江で活躍するエンジニア人口の拡大だ。大規模な開発案件を数多く受注するには、多数のエンジニアが必要だ。そのため、エンジニア層の拡大を目指して、島根大学でのRuby講座開講、大学・高専生を対象とした企業インターン実施、そして県外企業のサテライトオフィス開設に対する補助金制度の導入いう施策を展開している。
島根大学の講座では、まつもと氏をはじめとする第一線のエンジニア、松江市田中参事などRuby City MATSUEプロジェクト関係者が交代で教壇に立っている。こうした講座の受講生がインターンに参加し、インターンが終わった後はオープンソースサロンに参加する例もある。
サテライトオフィス開設に対する補助金制度は、松江市内に進出するIT企業に対しオフィス賃料の半額(最大20万円/月、最長8年間)を補助するものだ。これはオープンソース技術に関する情報収集のため、数人のエンジニアを松江に常駐させるケースを想定している。金額の絶対額は大きくないものの、コミュニティを県外企業にまで拡大するための布石として機能することを期待している。
ゆっくりとした、しかし確実な構造変化
Ruby City MATSUEプロジェクトに松江市が投じるコストもそれほど大きなものではない。島根大学でのRuby講座開設やRuby図書購入といった人材育成にかかる費用は約750万円、松江オープンソースラボの開設・維持経費が約590万円など、合計1,400万円が年間予算だ。巨額の税金を投入するのではなく、コミュニティ活動支援に対しミニマムかつ効果的な資金の投入をしていくという姿勢を徹底している。
一方松江市は惜しみなく人的サポートを行っている。というのも、コミュニティの自発的な動きが止まった瞬間にこのプロジェクトは空中分解してしまうからだ。
Ruby City MATSUEプロジェクトは、巨額の税金と人材を投じ、数値目標を設定して一気呵成に動く公共事業でもジョイントベンチャーでもない。コミュニティ参加者一人一人の自発性に依拠した活動となるので即効性はない代わりに、少しずつ着実に成果が上がってくると思われるし、メンバーもそう自覚している。これまでの箱モノ行政や大企業誘致を西洋医学とすれば、このプロジェクトはあたかも漢方薬のようだ。松江市をはじめ、各コアメンバーの献身的なコミットが続けばゆっくりとだが、着実に成果をあげていくであろう。しかし各参加者が短期的な成果がないまま、長期的な体質転換を推し進めるといったやり方に辛抱し続けられるだろうか。このプロジェクトの最大の課題はその点だろう。
松江は特殊事例なのか
Ruby City MATSUEプロジェクトは地元に根付いたコミュニティ活動を支援することによる産業振興策だ。このプロジェクトは「オープンソースのメッカ」松江だからこそ成立する特殊な事例に過ぎないのだろうか。
松江が「オープンソースのメッカ」と呼ばれるようになったのは、日本のリナックスユーザーコミュニティー、日本Linux協会のウェブサイトのサーバーが松江で立ち上げられたことに起因する。当初このサーバーは個人の手で維持管理されていたが、リナックスの普及により個人での運用に限界を感じるようになる。そこでこのサーバー管理の受け皿として設立された法人が現在のネットワーク応用通信研究所の前身である。
当然ビジネスの基盤はオープンソースの技術となる。基盤であるオープンソース技術を確固たるものとするべく社長がとった手がまつもと氏の招聘だった。当時まつもと氏は浜松に住んでいた。本業のシステム開発の傍ら、業務時間外にRubyの開発を行っていた。招聘にあたって、井上社長はRuby開発専従の研究員というポストを用意した。その後会社はオープンソースベースの日本医師会のレセプト管理システムORCAの開発で飛躍し、まつもと氏が開発するRubyはRuby On Railsの流行もあって世界規模で爆発的に普及することになる。
こうして見ると、たまたま一人のリナックスユーザが松江に在住していなければ、日本Linux協会のウェブサイトのサーバーが松江で立ち上がることも、ネットワーク応用通信研究所が松江で創業することも、松江にまつもと氏がやってくることもなかったわけである。このプロジェクトはほんの偶然により松江にもたらされたうまく活用した事例に過ぎないと考えることもできよう。
しかしこのプロジェクトの最も重要な要素は、地元にあるコミュニティの活動をいかに効果的に支援するか、である。目黒氏はこう語る。「松江みたいな地方都市だったらその辺の鉄工所のおっちゃんさえもソーシャルアントレプレナーだ。そのおっちゃんがいないと板金ができないとか。その町に存在している商店だとか町工場、ソフトウェアハウスとか全部含めてソーシャルといえばソーシャルですからね」
町工場や小さな商店、目黒氏が例に出しているのはどこの街にでも存在するものだ。つまりコミュニティのない街などこの世に存在しないはず。特に地方ならなおのことだ。
ただ、松江の場合はそれがオープンソースソフトウェアを核としたものであった。他の街にはその町独自の資源を核としたコミュニティが存在するはずである。Ruby City MATSUEプロジェクトが提示する地域活性化のモデルは「低コストで地元に芽生えたコミュニティの持つ潜在力を生かしきる」ことなのであろう。
(深見嘉明=慶應義塾大学SFC研究所 上席所員)
評価と課題:大事なのは人間のつながり
Rubyというコンピューター言語については、wikipediaのページを参照して欲しい。
コンピューター言語の世界は、圧倒的に米国優位で、組み込み型で坂村健氏のTronが気を吐いているのが、ほぼ唯一の成功例というありさまだった。そこにRubyが登場し、最近は海外でも、主要な言語として認知度が高まっている。
そのRubyをベースに、山陰の人口19万人の、東京で言えば荒川区と同じ程度、世田谷区(85万人)の4分の1以下の人口の町が「地域振興の柱に」と手を上げたのだ。たまたま開発者のまつもとゆきひろ氏が住んでいたという縁からだ。
しかし、深見氏のレポートを読むと、そこには、過去の地域の産業振興の手法(補助金や税金免除など)を反面教師として学びながら、ユニークな手法を生み出しているのがわかる。
2007年11月に新潟市で行った「日経地域情報化大賞」のトークショーで、司会役の私は松江市の田中哲也参事に、「まつもとさんが松江を離れると、このプロジェクトはなくなるのではないか」と意地悪な質問をした。すると、「人のネットワークががっちりできてきているので万が一のことがあっても大丈夫です。まつもとさんも松江が気に入っています」とのことだった。
レポートのように、まつもと氏の勤務先の会社、松江市役所、さらには島根大学と、産官学のネットワークが、建前ではなく、本音ベースでつながっているのだ。
高度成長期の地域の産業振興は、広大な用地を用意して、工場を誘致し、雇用を確保することがメインだった。しかし、経済のソフト化、サービス化の進展で、地域は何をいすればいいのか大いに迷っている。岐阜県の梶原拓前知事が、大垣市に「ソフトピア」を開設してソフトウエア企業の誘致を図ったが、これも順調には行かなかった。
松江市の考えは、「人と人が集い、教えあい、学びあう」というものだ。地域で育った子供が高校を出ると都会の大学へ、さらに地元の大学を出ても都会に就職して、帰ってこなくなる。新幹線や高速道路は、地方の人々の願いとは裏腹に、若者を都会に吸い上げる「ストロー」だった。
こうなれば、ストローの吸い上げ側に回るアイデアが必要だ。松江に近い、鳥取県境港市は、漫画家の水木しげる氏の出身地ということで、水木氏の漫画に登場するお化けの彫像を市内各地に飾って、日本中から観光客を集めるようになった。
地方といえば、観光。風景や温泉、食べ物を売りにする程度では、人は集まらない。大事なことは、人を育てる場であり、学んだことを実践できる場作りではないだろうか。さらにそれがコミュニティーの核になっていくことだ。江戸時代には英明な君主はかならず藩校を整備して、教育に力を入れた。いま、地方で教育は劣化してしまっている。そういう意味で、Rubyという面白い道具をテーマに、教育と研究・開発、オープンソース方のエンジニア・コミュニティーと、松江の挑戦がどう育っていくか、期待しつつ見守りたい。
(坪田知己=慶応義塾大学大学院教授/日経メディアラボ所長)
2007-11-08 カテゴリー : 地域情報化の現場から
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